メゾフォルテピアノ教室

広島市中区吉島東に引っ越してきて3年が過ぎました。1階の居酒屋ぷらっとをお手伝いしながら、ゆっくりとピアノ教室を続けています(^-^)まだまだ生徒さん募集中です♫

学ぶ事

昨日、息子は高校時代のお友達とユニバーサルスタジオジャパンへ遊びに行きました(^^)

慶応大学に行ってるお友達が帰って来ていたらしく、
もう一人は阪大医学部…と言うと、高学歴と言うイメージですが、


息子の通っていた高校では、当たり前のような進学先です。


だからと言って、勉強ばかり詰め込む学校ではなく

明るく楽しく自由な校風でした。



ただ、学ぶ意欲を育ててくれた事、お友達皆んなで頑張ろうとする意識の高い学校でした。
押し付けた学習ではなく、楽しんで学ばせて頂けた学校です。



勉強合宿で、朝8時半から夜11時まで。もちろん食事やお風呂もありますが、それ以外はずっと勉強。
それでも夜の消灯時間になると
「先生、僕まだ勉強できます」と冗談を言える余裕。






そんな息子の高校ですが、
過去に、脳腫瘍で余命幾ばくもない生徒がいたそうです。

親と本人の意志で、最期まで学ぶ事にしたそうです。

歩く事ができなくなり、車椅子で母親が学校に連れて来る。

彼の目は真剣だった…お前らにはそれが足らん!と先生は言っていたらしいですが、
命をかけて学ぶのだから、それは真剣でしょう。



大切な子供が不治の病になる。


それを、最期まで学ぶ事を選択するなんて中々できる事ではありません。
残りの人生好きな事して思いっきり遊ばせる?
そうする人もいるでしょう。




私は16歳高校一年生の時に、悪性リンパ腫で入院していました。
12月から5ヶ月間。
やっぱり、学校の教科書を持って勉強していました。
もちろん、その彼とは比べ物にはならないような物ですが。


消灯時間になると、医局へ行って、当直医に質問して、
当直の医師も「ひろみちゃんの勉強の引き継ぎもしてるよ」と言ってくれながら…



学ぶ事で「死」と言う恐怖を忘れようとしたのだと思います。

髪が抜け落ち、抗がん剤でやせ細って弱っていく身体。

遊びに行きたいなんて思わなかった。

その日その日を過ごしていた。




小児外科病棟は、その頃大人と子供が同じフロアだったから、
「死」はすぐそこにあり、昨日までしゃべっていた人が急変し、個室に行ったまま帰って来なかったり。
個室が空いていないときは、医師から談話室に行っといて…と言われたり。




胆道閉鎖の0歳児が手術しても残念な事に、母親に抱かれて帰って行く…
息をしなくなった赤ちゃんを抱いて帰る母親の悲しそうな目。




思い出すのはベットから見える空は四角。
窓の形に切り取られた空。




個室からの嗚咽。




小児癌で検査に泣く子供がいる部屋の前で、
嗚咽を堪えて口を押さえて泣く母親。





そんな毎日で、学ぶ事だけが救いのようだった。
学んでいれば学校に戻れる…


私はそれで学校に戻り、今こうして生きているけれど、





彼は最期まで学んだ事で安らかに逝けたのかな。




今、大学生になり、それぞれの学校で楽しく過ごしている息子達。
お友達もみんなが、元気で生きていてくれる事が本当に嬉しい。





勉強しないからと父親が小学6年生の息子を刺し殺した事件がありましたね。
学ぶ事の本質を親が間違ってはいけない。



東大寺学園の放火殺人事件の彼もまた被害者であると、いつも思い出しては心が痛みます。




今日は、ずっとそんな事を考えていました。